昭和23年の世相

昭和23年、敗戦後の世情いまだかまびすしく、さまざまな事件事件がぼっ発しましたが、新春早々に2つの大事件が起きました。1月12日、東京都新宿区の寿産院が4年間にわたって預って来た乳児240人のうち、140人を餓死させていたことが発覚しました。乳児1人あたり5000円から6000円の養育費をとって預ったものの、ろくにミルクを与えずに死亡させたものです。このショッキングなニュースからわずか2週間後の1月26日、帝銀事件が起り人々を震撼させました。旧第一銀行と三菱銀行のルーツであった帝国銀行椎名町支店に区役所の者だと名のる男が現れ、チフスの予防薬と偽り、青酸カリを行員に服用させました。昭和20年以来、シラミが媒介する発疹チフスの予防のために、GHQの指示でDDTの白い粉末が散布されました。そして学童は学校で、大人は街頭でこのDDTを頭から浴びらされたものでした。DDT体験がもしなければ行員達は訪問者の言葉を安易に信じることはなかったと思われますが、結果的には12名の犠牲者を出してしまいました。犯人は十数万円を奪い逃走しましたが、同年8月21日に犯人が逮捕され、昭和25年に東京地裁で死刑判決を受けることとなります。
片山内閣が総辞職した後に難産の末に芦田内閣が誕生し、吉田茂は民主自由党総裁に就任しますが、復興金融公庫から昭和電工への融資をめぐり疑獄事件が発生しました。舞台は元新橋の名妓が女将をつとめる永福荘で、当時の昭和電工社長の愛人でもあった彼女は連夜、融資工作のための宴会をセットしました。芦田首相、西尾国務相をはじめとする政府、官界、財界にGHQまで包含した大規模な作戦は功を奏し約25億円もの金が流れましたが、国会での追求から捜査が進むに連れて検挙、起訴合わせて100人をこえる人々が警視庁の手に掛かりました。モミ消し資金のバラまきやらGHQの内部の権力闘争、などの様々な話題が散りばめられたこの事件は、意外に軽い判決が下り決着をみることとなります。GHQが何らかの形でニュースの一翼を任っていたことは間違いありません。
ファッションもフレアコートはミリタリールックに端を発しており、夏に大流行したアロハシャツも軍属で来ていた日系二世達の粋な姿へのあこがれから始まったものです。世間の流れは相変わらず進駐軍とGHQ寄りが主流でしたが、広橋広之進が水泳800m自由形で世界新を出してようやく日本は世界へ羽ばたき始めました。

田舎の暮らし

田舎の暮らし

田舎暮らしと言っても、お金にゆとりのある定年退職後の年金生活、新規就農、レストランやペンションなどの経営、あるいは週末だけの利用などのさまざまなライフスタイルがあります。大まかに分類すると住まいを定住することと、たまに住まいに住むセカンドライフといったことに分けられます。田舎暮らしの場合は基本的には家族単位の移住になります。都会と違い田舎では家計にゆとりもでき、大きな間取りの住まいに住むこともでき、サラリーマンの場合は定年退職後や早期退職後がほとんどになりますが、田舎に移り住むことは大きな意義があります。生活習慣病や健康を害した人が自然の中で生活することによって健康を取り戻したり、なによりもサラリーマンの大多数は家庭と職場への往復する生活しか知りません。しかも地縁血縁のない都市郊外に住まいを構えた人が多く、地域との関係が極めて希薄です。特に育児や子育てに関与していない男性の場合はなおさらです。地域の役割を学ぶには田舎ほど適した所はありません。生活も家族単位ではなく集落に住む多くの人が関わってきます。典型的なのが冠婚葬祭で、冠婚葬祭の催し物があると地域の人達が仕事を休んで駆け付けるのが普通です。田舎暮らしはその土地に馴染むことが肝心です。

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